10月9日、第3回立憲民主党
「安定的な皇位継承を考える会」に参加。今回は、近代皇室史研究の第1人者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次氏による講演。主な内容は、皇室存続の危機を打開する為に従来提起されてきた「解決案」を3つ取り上げ、その問題点を検証するというもの。その3つとは以下の通り(同氏の表現による)。1、旧皇族の子孫の男子を皇族に復帰させる案。2、女性天皇を認める案。3、内親王・女王と旧皇族の男子を結婚させる案。A4版8ページの充実したレジュメを用意されていた。注意すべき発言をいくつか紹介する。「〔1については〕具体的論議がないまま、…現在では皇族女子との婚姻で復帰させようとの考え〔つまり3〕に変わっていった」「〔占領下に皇籍離脱した〕旧皇族家の若い男子は皇族でなくなってすでに3世代目の世代であるし、戦後の離脱がなくても戦前の内規〔大正9年、皇族の降下に関する施行準則〕ですでに降下していた世代である。その世代を特別に扱うと、すでに離脱している旧皇族家の子孫(たとえば戦前に臣籍降下した山階家など)との違いが曖昧になる」「旧皇族という立場を特別に扱うと、日本国憲法第14条2項『華族その他の貴族の制度は、これを認めない』に抵触する」「世襲という意味で、天皇家との血筋を重視するのであれば、〔それらの〕旧皇族よりも血縁関係の近い家は100家近くある。というのは、旧皇族は幕末の伏見宮邦家を祖とするが、その天皇家とのつながりは南北朝時代の北朝3代の崇光天皇(1398年崩御)まで遡る。より近親では江戸時代の107代後陽成天皇(1617年崩御)および113代東山天皇(1709年崩御)がおり、その子孫は、花園・梶野・徳大寺・高千穂・住友・室町・東儀・近衛など100家以上にもおよぶ。そして旧皇族の近親度はその100番目に近い」「旧皇族は戦前にても皇位継承者としては期待されていなかった面が強い」「〔戦前の〕傍系の皇族は、膨大になった皇室の義務(軍務・外交・行啓・儀式など)を担う存在としての価値が高かった」「旧皇族の子孫の某氏は『明治天皇の玄孫』を自称するが、それは明治天皇の内親王の子孫で女系という意味である。男系論者の某氏があえて女系の系統を主張するのは、某氏も明治以後の皇統の子孫であることが多くの国民の支持をえられるという意識があるからだろう」「この10年ほどの男系論者たちの言動をつぶさにみるに、底流には今の皇室の『国民とともに歩む』ソフトな路線への反感に根差す要素も多く…皇室がかつての大日本帝国時代のような姿になってほしいという理念が、女性天皇否定となって現れている様相もある」― 旧宮家系男性が、そのまま新たに皇籍取得する事を可能すべしとの主張は、既に余り見られなくなっているとの認識を示された。それに代わって、内親王・女王方とのご結婚による皇籍取得を主張するようになっている、と。勿論、その場合も皇室典範の改正は必要だ。それにしても、他人(内親王・女王方及び旧宮家系男性)の掛け替えのないたった一度だけの人生を、あたかも将棋の駒のように、自分の都合の良いように扱おうとする発想の異常な不遜さを、それを唱える本人達は自覚していないのだろうか。